五 升 橋 (御所橋)

会津に逃れた高倉宮以仁王は、この橋に腰を掛けられて休息された。
木樵等も 後生願いて 御所の橋 かけ渡したる高倉宮
 両岸とも岩石がそそり立つ難所を越えて瀧原村近くに至ると、木こりが4〜5人、削り終えた木材に腰を掛け休息していた。
 以仁王一行を見るや、削りたての木材で橋を架け、更に1本の木材を対岸に運んで傍らに置き、休息の場としてくれた。
 都の荒んだ者どもを鑑み、この地での知識なき賎の男であっても人を思いやる優しき心に打たれ、以仁王の涙が枯れることはなかったという。
 そして、この場所は「御所橋」と呼ばれるようになった。