山本覚馬・新島八重生誕の地碑

山本覚馬、新島八重生誕の地碑  会津藩士・山本覚馬 (一八二八〜一八九二) は、砲術師範で日新館教授。 一八六四年、藩主の京都守護職就任に伴い、京都に転住。鳥羽・伏見の戦いで囚われるが、その識見を買われて、維新後に京都府顧問となり、京都の近代化に貢献する。 一八七五年、新島襄と同志社英学校 (現同志社大学) を創立した。
 覚馬の妹・八重 (一八四五〜一九三二) は、砲術が得意で、白虎隊員指導の一方で、戊辰戦争では自ら鶴ヶ城に篭城。 城明け前夜、城壁に 「明日の夜は何国の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ」 と簪で刻んだ。
 一八七一年、兄を頼って京都に転じ、一八七六年に新島襄と結婚。 同志社女学校 (現同志社女子大学の前身) の舎監を務めた。 兄同様に、京都でキリスト教に入信。 ともに洛東・若王子の同志社墓地に眠る。
 なお、この碑は、宮崎家のご支援を得て建立し、一九八九年五月三〇日に除幕した。
学校法人同志社    .
現地板より/会津への夢街道